東京にいたころ所属していたクラブチームの同窓会通知が届きました。
因みにその頃の私。今とは別人と言われます。髪の毛も多いな~
今の私のラグビーに関する考え方は全てこのチームから影響を受けています。
荻窪の「のっぺ」という新潟料理の店の客らがつくったチームで、のっぺラボーズという今でいう
松本山雅みたいもんですかね。今では店もチームもありません。
高校生から40歳過ぎまでの職業も年齢も生まれも環境も違う人間が集まる世界は私にとって
全く経験のない世界で、色々な経験をさせて頂きました。
早稲田の1本目で卒業したばかりの人や東芝府中の現役選手、元日本代表候補、大学でやっていて卒業したばかりのバリバリの人も沢山いました。
そんなんだから、とにかく練習はきつかったです。
ケツはセービングで膿だらけ。スクラムで耳の後ろが膿でバリバリになったり、顔の横が砂ですれて、いまでもあとが付いています。当りはきつく、怪我もしました。
キックダッシュやフォワードゲームも延々とやらされてきつかったなー。
週末に調布の関東村や府中で練習しましたが、練習について行くのがやっと、体も出来ていないので全く楽しくなく、つらい思い出しかありませんでした。良くさぼってスキーに行っておこられたなあ。
ユーミンの「ノーサイド」を聞くと今でも関東村を思い出し、いやな気持になります。
そんな中、私がやってこれたのも素晴らしい仲間がいる素晴らしいチームだったからだと思います。
徐々にプレーが出来るようになり、試合に出してもらったり、褒められるようになると段々楽しくなってきました。
練習や試合の後は銭湯に入り、そば屋で一杯飲むのも最初は嫌でしたが、段々はまり始め週末の楽しみになりました。
キャプテンが試合の後、皆を自宅に招いてくれて宴会した事は今でも良い思い出です。
牡蠣とかワニ肉とか食べたなー。
試合の後、葛西の駅前をピックアップトラックの荷台に短パン一枚で乗り、瓶ビールをラッパ飲みし、全裸で公園の噴水で体洗っていたらパトカーが来た事は忘れられません。
そういえば道路公団のグランドでフランス大使館と試合後のアフターマッチファンクションで、フランス語の意味は分からないが卑猥な歌に対抗してのよかちんの歌を唄ったなー。
群馬に転勤しても、群馬のチームでプレーしながらこのチームに通ってました。
そんな仲間たちに20数年ぶりで会えるのは本当に楽しみです。

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